目から鱗が落ちました

使い捨て1Dayウロコを通して見えたこと

最後はどうなったかちゃんと知ってる?五代君が響子を抱くまでを振り返る。「めぞん一刻」高橋留美子

ネタバレあり

女主人公の響子は、女からみてもフェロモン全開のいい女

めぞん一刻は、小学校低学年の頃にアニメでみたことがあった。だが、大人っぽい内容だったためか、母に見るのを止められてしまい、ほんのわずかな内容しか覚えていなかったのだが、主人公をとりまく気の利いた演出は、小学生の子どもにも印象的だった。

話は、主人公の五代がおんぼろ文化住宅の一刻館とそこの住人に嫌気がさし、飛び出そうとしていたところから始まる。そこへ突然、一刻館の管理人として美しい女・響子が登場したために、五代は引っ越しを取りやめにして、そこに住み続けようと前言を翻した。

高橋留美子のギャグ的展開をもって始まるストーリーだが、ただのギャグ漫画で片付きそうでな気配はない。 五代のわずか二つ歳上でまだ若い響子ではあるが、どこかに翳りがある。

そのわけは、物語が進むにつれて、すぐに明かされる。

響子は、私が小さい頃に見たアニメの印象では「上品でおとなしいお姉さん」という感じだったが、漫画で読むと、意外にも生々しい女の様相をしていた。

響子は見た目によらず、焼きもちを焼き、拗ねもする。

その性分が生々しいというだけでなく、テニスコートで翻すミニスカート姿も生々しい。普段は、"PIYO PIYO"とプリントされた子どもっぽいエプロンなんかを着てるが、響子の身体からは、女の生命力とフェロモンが、フライパンの上で焼かれたステーキから出る肉汁のように滲み出ている。

(でも、このPIYO PIYOエプロンが彼女のトレードマークになっているらしい。)

こんな女が近くに居て、気にならない方がおかしいと思うぐらい、女の私から見ても響子はいい女だと思う。

五代君の恋のライバルたち

ラブストーリーの原則からいくと、読者は、響子がそのうちに主人公の五代君とくっつくと当然予想するだろう。 (ここではキャラに合うように五代君と君付けで呼ぶことにする。)

五代君には、響子に想いをよせるテニスクラブのコーチである三鷹さんという強力なライバルがいる。さらに一刻館の住人達からは四六時中の邪魔が入る。酒乱の一の瀬さんに、のぞきが趣味の四谷さん、季節問わずにいつもスケスケのネグリジェを着ている朱美さん。彼らに茶々を入れられながら、五代君が響子にアプローチとするのは、至難の業のようだが読者はちゃんと、この漫画が「シェルブールの雨傘」のような想いを寄せ合いながらも一緒になれないアンハッピーエンドの苦い恋の物語になったりはしないことをわかっている。

漫画に出てくる恋のライバルというのは、結構「嫌な奴」が多い気がするが、読み終わってみると五代君のライバルの三鷹さんは、嫌な奴どころか、かなりいい線いっている。 爽やかなイケメンで、白い歯を光らせ、職にも就き、車も所有し、家柄は良すぎるほど。(時は1980年代、バブルのまっただ中の日本。三鷹さんは150万ほどの国産車に乗っているという。高級車には違いないが、身の丈にあわない外車を乗り回すようなタイプよりもずっと堅実に見える。)

女の子との付き合いは派手なようだが、そこを除けば好きな女に真っ正面からアタックできるほど、潔い、決断力のあるいい男だ。響子の扱い方も紳士的。(男の目からみたら、かなりキザに映るかもしれないが。) だから響子が彼にモーレツなアタックをされながらも、はっきりと断れずに、ずるずると「ぬるま湯みたいな三角関係」を続けてきたのだろうが、端から見ていると、五代君の方がかなり分が悪い。 浪人の末、三流大学にやっとのことで入学し、単位ぎりぎりのところで卒業しながらも、就職に失敗し、資格取得のためにキャバレーでバイトしながら食いつなぐ。言うまでもなく万年貧乏で、好きな女にさえ食事の代金を立て替えてもらわなくてはいけないほど。

もし、五代君にピュアで優しい心根というものがなければ、本当にダメな男だっただろう。響子が、物質主義(イケメン、金、車、etc.)に走らず、スペックは低いが、心根の優しい男を選んだというのも、世知辛いこの世の中での「救い」のようにも思える。

多くのラブストーリーに、主人公達の間に障害があったりする。五代君にとっての三鷹さんも、そこそこのライバルに違いなかったが、一番の恋の障害は、響子の死んだ夫である「惣一郎さん」だ。

響子は高校時代に母校の講師をしていた惣一郎と卒業後に結婚したが、彼は結婚後一年も経たないうちにこの世を去る。響子は、惣一郎の死亡後も嫁ぎ先である音無家に籍をおき、音無の姓を名乗り続ける。

そんな時に、義父のすすめで響子は一刻館に管理人として勤務することになった。

五代君が響子に心を寄せているのは響子にもわかっていただろうが、夫を失ったばかりの悲しみの中に居る女が、そんなに簡単になびいてくれるわけもなく、五代君と響子の中が発展するのは、時間がかかりそうだと読者も踏む。

普通なら、死んだ人間は過去の人だ。物語にそんなにしばしば登場する機会もないのだが、作者は、響子の飼い犬の名前を死んだ夫の名前と同じにしてしまった。

亡き夫と同じ名を持つ飼い犬を「惣一郎さん」と呼ぶ響子。惣一郎さんは、一刻間の庭先の犬小屋に鎮座する。

犬小屋にも「惣一郎さん」と敬称付きで書かれている。否が応でも、見えないはずの恋敵である「惣一郎さん」が物語に出てくる。犬の惣一郎さんは、おまけにブサ犬なのだ。亡き人の影をコミカルに登場させた、最高にニクい演出だなと思う。

惣一郎さんはコロンボの「うちのかみさん」と同じ

目の前にいるキザ男の三鷹さんであれば張り合うには方法もあっただろうが、恋敵が死んだ相手ではどうしようもない。見えない敵では、自分に勝運があるのかさえも、はかりづらい。

五代君は、機会あるごとに、惣一郎さんがどんな人物だったのか知ろうと、惣一郎さんが勤務していた、響子の母校である女子校の卒業アルバムを図書室で探し出したり、音無家にある遺影の写真なんかをこっそりと見ようとするのだが、その度に失敗に終わる。回想シーンで登場する惣一郎さんの顔はいつもベタで塗りつぶされていて、読者にも五代君にも、どんな人なのかナゾなのだ。

刑事コロンボが「うちのカミさん」と始終口にしているのに、姿は一回も出てこないというアレと似ている。

ストーリーの中で、響子の目線から見た惣一郎さんにまつわるエピソードが繰り広げられる。読者には、最後まで惣一郎さんの姿が明かされることはないのだが、エピソードを通して、惣一郎さんと響子のほのぼのとした関係が見えてくる。気がつくと、亡き人との思い出が、悲しいものではなく、穏やかなものに変わりつつある。この経過を持って、次第に響子だけでなく、読み手も死の悲しみを克服する気持ちの変化を疑似体験する。

毎年、亡き夫の命日に、響子は墓参りに行く。幾度もの命日が過ぎ去った頃、響子自身も、そろそろ次のステップへ踏み出さなければと感じていく。やはり、悲しみを克服するには時間は最も力強い味方でもある。

音が筒抜けの文化住宅ではやるべきこともできない

めぞん一刻には、昭和の要素がいっぱい詰まっている。 風呂なしの下宿型おんぼろ文化住宅。トイレと洗面台は共同でなので、皆、銭湯に通っている。(四谷さんが壁に穴をあけなくても)各部屋の音は大抵筒抜けだろう。1980年代生まれの私でも、文化住宅は知っているが、下宿型文化住宅は自分の廻りで見た事がない。 ミレニアムを迎えた頃には文化住宅さえ見かける機会も減った気がする。もしかしたら彼らは風呂なし下宿型文化住宅の最後の住人だったかもしれない。

1巻から5巻目あたりまでは、五代君と響子の関係はそれほど発展しない。好きなら好きとはっきりすればいいのにと、読み手を十分にじらした後に、5、6巻目あたりから、話が突然進んでくる。 (私が読んだのはワイド版だった。)

きっとこの二人は最終的には一緒になるのだろう。さあ、どんな風にくっつくのか。長年、近くに居ながら、一線を越えないで来た男女が、相手を受け入れるには、その年月の分だけハードルも高くなり、それ相当の物理的・精神的エネルギーが必要とされるだろう。

物語の要ともなりそうな大事なエピソードだ。作者はきっと、それなりのストーリー展開を考えてくれているに違いない。どんな風にそこまでもっていくのだろう?目も耳も感覚も肥えた読者は、ありきたりの平凡ないきさつには、納得しないかもしれない。 でも、ギャグ要素の強いこの漫画のことだから、ちょとだけ茶化しながらも、平和的で朗らかな恋が成就する場面が出てくるのだろうなと、私は漠然と考えていた。 予想に反して、二人が結ばれるシーンは考えていたよりもずっと直接的でリアルだった。

紙とペンで描かれた、白黒2次元キャラクターの話なのだが、五代君と響子が結ばれるシーンでは、汗ばんだ誰かの肌が自分のものに吸い付いているような錯覚を覚えた。

こんな展開になるとは思わなかったんだが、「そうなんだよね、やっぱり、男と女が結ばれるというのは、こういうことなんだよね」と思わせてくれた。

服を脱ぐ前の恋愛も大事だが、服を脱いだ後の恋愛ももっと大事なのだよね。

(アニメでも同じ展開にしたとはちょっと考えにくいのだが、どうだったのだろう…。)

他の住人からの絶え間なプライバシー干渉にうんざりしてはずの五代君であったはずなのだが、響子と結婚し、子どもが生まれた後も、ふたりは一刻館に住み続けることを選んだ。

私としては、五代君と響子がふたりだけで邪魔されない新婚生活を送ることをひそかに望んでいたのだが、そういうことにはならなかった。

残念だなと思いつつも、五代君も響子も生まれたばかりの新生児を抱いて、一刻館で一家として迎え入れられることに満足している表情を見ると、「終わりよければすべてよし」と言うしかない。

中盤、散々、ギャグで話がひっぱられたが、最後はやはりハッピーエンドで万歳となった。

2018年に読んで一番好きだった漫画 東村アキコ「かくかくしかじか」のあらすじ

東村アキコさんの自伝的漫画「かくかくしかじか」の主人公の林明子は小さいころから少女漫画が大好き。


温暖な気候の宮崎県で、80年代りぼんっ子のバイブルとも言うべき「ときめきトゥナイト」の蘭世の絵を真似して描いたり、寝っ転がってりぼんを読むだけの生活をしていたそうな。


その甲斐あって、無事に「ボーっとした高校生」になった明子にも大学受験の機会がやってくる。

 

少女時代から漫画家になりたかった明子は、勉強できなくても、美大であれば入れるし、と安易な理由から美大受験を企てる。

 

東京の美大に現役合格し、在学中に華々しく漫画家デビューを飾り、将来はトヨエツと結婚するというのが、彼女の当時の人生設計であったらしい。

 

人並外れて絵が上手いと思っていた明子は、「美大どこでも受かっちゃいます?」と美術部顧問に軽口を叩いていたが、「美大受験はそんな甘くない」というクラスメートの助言がきっかけで、家から遠い場所に位置する絵画教室へ通うことにした。

 

うぬぼれ屋の明子は、絵画教室に行けば、自分だけ絵が上手いって先生から褒められてしまうんじゃないかと心配していたのだったが、絵画教室で先生は明子の絵を一目見るなり「下手くそ」と彼女のデッサンを竹刀でバシバシと殴りつけてしまう。

これが、明子の恩師となる日高先生との出会いだったわけだが、そんなことは当時の明子は露知らず。

 

ショックで言葉を失う明子に先生は、こんなに下手くそではどこの美大にも受からない、と追い討ちをかける。

 

受験までに100枚描けという先生の命令のもと、明子の絵画教室通いが始まる。
老若男女問わず、いつもキレキレの日高先生。


生徒のすすり泣く声が聞こえ、無駄口を叩けば竹刀で殴られるような超スパルタ空間で絵を描くのがイヤになった明子は、ある時、仮病を使い、絵画教室からの「脱走」を試みたのであったが、明子は嘘に気づいた先生から猛ダッシュで追いかけられる。

嘘がバレて、先生から顔面にアイアンクローを食らわされるのかと顔を引きつらせる明子だったが、意外な展開となり、読者はここで日高先生の優しさを目の当たりにすることになる。

 

このエピソードはオリジナルで味わって欲しいので、顛末はここではかかないが、ここから先生と明子の受験に向けての躍進が始まるのだった。

 

余裕で受かったと思われた推薦入試に落ちた後は、国立大学狙いの明子はデッサンだけでなく、勉強にも勤しまなくてはならなくなった。

 

不良と一緒に職員室に立たされるぐらい成績の悪かった明子だが、問題を読まなくても答がわかるマークシート攻略本とダウジングの能力を開花させたおかげで、センター試験8割を突破する。


オバカキャラを返上し、ミラクルガールという異名をとった明子であったが、本命だった美大受験に失敗し、もう後がないという状態に。

これに落ちたら浪人しかないというところで、明子は無事に金沢美術工芸大学の油彩科に合格する。

 

在学中に華々しく漫画家デビューという夢に猛進かと思いきや、なんと時間と余裕のありふれた大学時代には漫画は全く描かなかったのだとか。

 

油彩科の課題も思うように進まず、苦しむ明子。


夏休みに実家に戻り、学校の課題に取り組むが、全く思うように描けず、七転八倒する明子の部屋に日高先生が現れる。


母から連絡を受けた先生が明子の家までかけつけてくれたのだった。

 

先生の指導のもと、絵画制作へのとっかかりを見つけ出した明子は、無事、課題を終えることができ、大学でもよい評価を受けることができた。

 

普通ならば、受験生時代に通った絵画教室の先生とは疎遠になりそうだが、先生との縁は大学入学後も、それどころか明子が社会人になってからも続いていた。

 

美大卒業も近いたけれど、就職が決まりそうにない明子に父からの喝が入る。

 

「オイアキコ!!お前に入学金40万、月々の仕送り10万x4年、学費が半期で40万1年で80万、それのx4年でトータル約900万!!」
「宮崎帰って美術の先生になれ!!」

 

900万円の出費を回収すべく、就職命令が下る。

運良く、日高先生の紹介で高校の美術教師の口を見つけた明子は、大学時代の彼と遠距離になることがわかりつつも、地元・宮崎に戻ることを余儀なくされた。

 

だが結局その就職口はなくなり、明子は父の会社のコールセンターで働くことなる。

遠距離恋愛の苦しみ、慣れないオフィス業務から逃れたい一心で、明子はやっと漫画を描き始める。

 

ここからは明子のデビューまでの道のりが日高先生とのエピソードを交えて描かれる。

頑張ることはダサいのか?

Eテレの「漫勉」で東村さんはかつてのこの時代のことを「ダサい過去」という風に語っていたが、私にはダサいとは思えない。
一つ言えることは、東村さんはとても運のいい人だということ。

日高先生のような師に出会えたということ、それだけで間違いなく、とても運がいい。

やることなすことすべてが飄々としていて、その姿があまりにも自然すぎて、努力しているようにも見えない人というのがいる。

勢いがあって、テンポがよくて、勢いのある東村さんの漫画を読んでいるとそういう人なのかと思っていたが、実はこういう時期によって東村さんの才能が裏付けされていたということを知ると、とても安心できた。

ギリギリの状況でやっと漫画を描き始めた明子だったが、人間は誰しも極限の状態に置かれてこそ、最高のパフォーマンスを成し遂げるということがある。

「かくかくしかじか」の読後感として「泣ける」というものが多いようだが、私にとっては、この漫画はただ「泣ける」漫画ではなく、絵を描くことをひたすら頑張る明子を見ていると、高校時代の受験時代を思い出し、さらに当時のエネルギー値の高さを追体験し、しばらくの間、自分を形作る細胞が懐かしさで震えているような気がした。


 

ちなみに、東村さんの「東村」というのはペンネームだそうだ。デビュー前にペンネームとして「東村」という名前を使うことに決めたのだそうだ。

北村、西村はいるけど、東村は少ないという理由で「東村」という名前を選んだそうな。

東村という名前が少ないという理由についてはこの本に書かれていたので、気になる人は一読を。

 


 

大神神社への参拝と念願の三輪山に登った話【登山の注意事項】

これから三輪山へ登山をする人にとっては大事なことなので、書いておこうと思う。次に登拝する時に、自分でも忘れないように。

ついこの間、大神神社へお参りに行って来た。
高速を使って奈良へ。
休日ともあって道路は混んでいた。

しかし、混んでいたのは高速だけではなかった。

前回行った時は平日だったため、それほど参拝者は多くはなかったが、今度の大神神社は大渋滞とは言わないけれどかなり人が多かった。

本殿の左隣に祈祷殿がある。用があり、この中に入ったのだが、ここが異常なほどにごった返していた。
結婚式の参列者かと思いきや、聞けばこの日は結婚式は一件もないという。12月の初旬、一年でも雨の少ないシーズンらしいが、日によっては、結婚式はすべて断っているらしい。

あのごった返した人はすべて、ご祈祷の申し込みをした人のようだ。

 

さて本題の三輪山の登拝について
大神神社の御神体と言われる三輪山に登拝するために、挟井神社に向かった。

登拝のためには、住所、氏名、電話番号を書き、登拝料を収める。

前回来た時は、登拝の受付時間の午後2時をすぎていたため、三輪山に登ることができなかったのだった。

登拝にあたり、神社の方から注意事項も言い渡される。

三輪山への登拝はお参りであり、ハイキングやピクニックとは違う、ということ。敬虔な気持ちでお参りをすること、中にトイレはないこと、等々。

飲食は禁止だが、水分補給だけはきっちりと行うこと。
これについては本当に重要だと思う。せめて500mlペットボトル一本ぐらいの水分は用意した方がいい。

私たちが入山したのは、ちょうど2時前であったが、その時、挟井神社に救急車がやってきた。
どうも三輪山内で倒れた人がおり、レスキュー隊がやってきたのだった。

神社の人によると、こういったことが過去にもあったようだ。
慌てて登ろうとして、または下ろうとして、ケガをしてしまう人がいるらしい。

「慌てずに、気をつけて行って来てください」

私たちはレスキュー隊より少し前に入山したため、一部始終を見届けることになったのだが、複数人からなるレスキュー隊が助けが必要な人のところにたどり着くには、山の麓から20分以上は経っていたようだ。

助けが必要な人は、比較的、入り口から近い人がいたにも関わらず、だ。

レスキュー隊は無事、助けが必要な人のところにたどり着いたのでよかったが、これがもし、頂上に近いところで倒れていた場合には、レスキュー隊が到着するまでに1時間、下ろすのにもそれに近い時間がかかること間違いない。

救急車といえども、三輪山の中を登っていくことはできない。

 

三輪山はヘリコプターが入れそうな場所には見えない。
怪我の状況によっては、命が危ないかもしれないと思った。

怪我をした場合は、登拝案内図にかかれている大神神社社務所の緊急連絡先に電話しなくてはいけない。


三輪山登拝にかかった時間について

私たちは、頂上まで登り、下りるのに、2時間弱かかった。

467mの山登りはたしかにハードだった。
次の日はお約束の筋肉痛がやってきて、今だにふくらはぎが痛い。

山に登る時の注意事項

三輪山の中に水路があり、そのため、いたるところに「ぬかるみ」がみられる。私たちが登拝した日の前も、ずっと晴れが続いていたので、道が雨で濡れいているということはあり得ないはずだった。
そのため、三輪山では万年、濡れいている場所があるということになる。

実際に、足を滑らせそうになった箇所があった。
傾斜があれば余計に危険だ。

後ろにこけて頭を打つのは避けたいので、そういう場所では前方に姿勢を保つようにした。

スニーカーでも水辺で滑りやすいタイプのスニーカーはやめた方がいいだろう。

私自身は、肩掛けバックに、普通のスニーカーで、最終的には無事に帰ってくることができたのだけれど、やはり山登りは危険と隣り合わせ。両手があくリュックに、時期によっては手からこけてもいいように手袋を用意して、水分はちゃんと用意して挑んだ方がいいと思った。

梅雨時期や雨の多い時期は、かなり山道がぬかるんでいるんじゃないかと思うので、晴れの日が続いた後に登拝するのがおすすめだと思う。

 

これから登拝される方、気をつけて行って来てください。 

1300台中4台しかない幸せを運ぶ四葉のクローバー付きヤサカタクシーに乗った話【ヤサカの四つ葉のクローバーのタクシーが停車していた場所は?】

約一年ほど前のことだったが、京都でタクシーに乗った。

私が京都でタクシーに乗るなど、たぶん年一度、あるかないかぐらいのこと。

妹と私は京都の八坂神社近くで用事を済まし、次の目的地である五条烏丸付近へと移動するためにタクシーをつかまえようとしていた。

歩くと30分以上かかりそうな距離で、直通のバスもなさそうなところを移動するにはタクシーしかない。

私たちが立っていた八坂神社の南楼門の前で、ツーっと移動するタクシーがいたが、なんとなくそれに乗る気がせずにやりすごした。

ふと横を見ると八坂神社と大谷祖廟の間の道で休憩しているのか、道の暗がりで停車しているタクシーがいる。
これに乗ることにした。

それがなんと四つ葉のヤサカタクシーだったのだ。

この日まで私は知らなかったのだが、1300台中4台しかないという四つ葉のクローバーを掲げたヤサカタクシーが京都を走っているのだそうだ。
この四つ葉のタクシーは大変有り難がられているということだ。
これに乗車した客は、降車時に運転手さんからクローバーのシールをもらえる。

京都のタクシー事情に私より詳しい妹は、昔はプレゼントがシールではなく、キーホルダーだったことを知っていた。

あんな道の木陰にぼーっと休憩していたのが四つ葉のクローバーのタクシーだったとは。

ほとんどタクシーにも乗らないのに、素敵な偶然だ。

今も私の手元にある四つ葉のクローバーのシール。
「あなたに幸運が訪れますように」と書かれたカードがともにある。

調べてみるとこのシールはメルカリにまで出品されていた。

このシール、見るとほっこりした気持ちになるので、手元においておくことにする。

 

f:id:me-uroko:20181228233533j:plain

ヤサカタクシーの四つ葉のクローバー

 

「いのちのスープ」の辰巳芳子さんがサワコの朝に出演していたのを見て、「食べる/作る」ということについて考える

数ヶ月前の7月14日、「いのちのスープ」の辰巳芳子さんが「サワコの朝」に出演していた。


 


 

料理家としても知られ、たくさんの料理本も出しているので、さぞ料理好きなのかと思いきや、

「お料理は大きい声じゃいえないですけど、大変ですよ」

全国ネットの放送でこの発言。
辰巳浜子さんを母に持ち、母・浜子さんが料理家として活動されていた子どもの頃に料理のお手伝いはしたものの、自分自身が料理家になりたいとは「これっぽっちも思わなかった」とのこと。

学問が好きで、本を読みたいのに、料理に時間がとられるのが嫌だった、など料理家らしからぬ発言が多数でてきた。

たしかに料理は時間がかかる。手間もかかる。

コースで出そうとすれば、タイミングも図らなくてはいけない。

前菜、スープ、メイン、ご飯類。

繊維とタンパク質と炭水化物の割合を考えて、一品ずつの相性を考える。

一人暮らしだったら、多少ズボラでも誰も文句もないけれど、家族がいて、毎日のご飯を考えるというのは結構な労力だ。

私は知らない間に料理好きになっていたので、生まれて初めて「料理が好きじゃない」という発言をした人に会った時にかなり驚いた。
そんな人がいるとは思いもしなかったから。

でも、自分の料理好きがどこからきているのか見直した時、明らかに言えるのは「食べるのが好き」というところだった。
言い換えれば、美味しいものが好き。

朝ドラの「ごちそうさん」で

食べたい気持ちが強いってのは、生きる力が強いってことさ

というセリフが出てきたけれど、私がもし食欲をなくしたら、人間として終わっているかもしれないと思っている。

こんなことは絶対に本人には言えないけれど、過去に友人が作ってくれたごはんが美味しくないということがあった。

それはチャーハンだったり、トマトスープだったりした。

友人宅から家に帰り、ひとりになると何かが自分の中に鬱積していた。

うっすらと自分の中に苛立ちを感じ、同時に失望し、そして落ち込んでいた。

まずいご飯を食べた時の自分のこの反応に、自分でも驚いた。

(でも、もてなしてくれた友人に対してはちゃんと感謝している。)

次の日、チャーハンを自分で作り、とりあえず腹の底に抱えていたなにかを消化した。
チャーハンの負債はチャーハンでしか返せない。
トマトスープの時も、トマトスープで返済した。

自分の口に入るものだけでなく、人をおもてなしする時でも、おいしく食べてもらいたくて仕方ない。

妹の夫(K君)が、わが家に来ることになった時、何を用意しておけばいいかと妹に聞いた。

K君はゼリーが好きだという。
食後のデザートにしたりするのだそうだ。

その日行ったスーパーには私がおいしいと認められるようなゼリーは売っていなかった。
おいているのは、着色した得体のしれない甘味料の入ったゼリーだった。

仕方ないので、寒天を買い、生の河内晩柑をスロージューサーでジュースにして、自家製のゼリーを作った。

そこまでしなくていい、激安の添加物モリモリのゼリーでいいと言われたのだが、止めようにも止まらない。
たとえ死にかけのカブトムシでも、あんな不味そうなゼリーを食べさせることなどできない。
少なくとも、私が住むこの屋根の下では。

私にものを頼むとこうなるということを少なからず知っている妹だったが、「あんたにはもう下手に物を頼めない」と呆れられている。

辰巳芳子さんの「いのちのスープ」に話を戻すと、辰巳さんはスープ作りを父親が脳血栓で入院したために、スープを作り始めたのがきっかけだったという。

一度、病気になった人に付き添ったことがあるとわかるが、病床に伏すと、「食べる」ということがいかにエネルギーを使うことかということがわかる。

ただ食べたいと思っても、噛むことも飲み込むことも、簡単にできなくなる。

辰巳芳子さんも、「スープという吸収のいい形になっているものは病人を助ける」と感じたという。

2人に1人がガンで死ぬ時代と言われている。私自身も家族を病院で看取っている。

これからの超高齢化社会に向けて、「いのちのスープ」は標準化していくかもしれない。

《紅葉》の季節じゃなくても渋滞している京都と《ORENO PAN》のクロワッサン

先週、京都に紅葉を見に行こうかという案があった。

京都は混むからな、車はやめた方がいいかなと思っていたら矢先、MBSの高視聴率番組「プレバト!!」を観ていると今週のテーマは

「京都の紅葉と渋滞」

の写真で一句だった。

やはり車で京都はやめた方がよさそうか。

紅葉のシーズンでなくても混んでいる京都。
結局、電車で行くことにした。

いつか忘れたが、数年前に四条通りの歩道拡張が行われてからは、四条通りの渋滞にさらに激しくなった。京都でタクシーに乗った時、ドライバーさんから、本当かどうか八坂神社前から阪急河原町駅までバスで1時間かかるという話を聞いたことがある。歩くと20分かからない距離だ。

それを聞いて以来、京都でバスに乗る時は、八坂神社から河原町駅間のバスには乗らないようにしている。

結論からいうと、やはり京都は混んでいた。

先週末の11月の初旬、紅葉には少し早いかと思ったが、たまたま立ち寄った円山公園から山手側の風景はにわかに色づいて、空の青とコントラストが美しかった。

 

京都には何度も行っているけれど、個人的には11月下旬の京都が一番好きだ。

まだ完全に冷え切っていないけれど、薄手のコートではそろそろ間に合わなくなるというぐらいの時期で、冷気で山の風景も霞がかかり、紅葉の色づき具合がピークになる。

 

円山公園

白鷺の居る円山公園にて

 

用事が終わってから京都散策となったが、今回、初めて「ORENO PAN祇園店」に立ち寄った。

「匠 おくむら」の奥村さんがプロデュースする店があることをウェブサイトで知った

京都フランス料理祇園おくむら|匠奥村|懐石仕立てのフランス料理、京懐石風フレンチ

何年か前に「匠 おくむら」で食事をしたことがあった。

本当はこの日、奥村さんのところでランチをしたかったが、予約がいっぱいのようだったので、ティータイムにORENO PANに行くことにしたのだった。

人が多くて歩くのにも苦労する四条通りをわずかに北に入ると「ORENO PAN 祇園店」がある。

メインストリートから数メートルはずれただけで、途端に歩きやすくなる。
午後4時ごろの時間に、店内には数組の先客がいたが、混み合ってはおらず、静かな空間だった。

イートインのスペースにはメニューも用意されているけれど、客はウィンドウに並ぶパンを注文してカフェスペースで食事ができるということだったので、店内入口のカウンターでパンと飲み物を頼み、奥のカフェスペースで食事をした。

アラビアのコーヒーカップやイッタラの食器など、北欧テイストの店づくりだった。

食べたのは、「オレノアップル」というアップルパイ、ポテトのキッシュとクロワッサンだった。

 

私の一押しはクロワッサン。


ORENO PANのクロワッサンはサイズが大きくて、層になっているクロワッサンの皮膚というべきパリパリの皮がかなりしっかりしている。

本当のところ、おいしいクロワッサンというのには滅多に遭遇しない。

ところがORENO PANのクロワッサンはボリュームがあって、さっくり生地が美味しい。美味しさリトマス試験紙の私の胃袋が反応した。

パリで食べたクロワッサンを思い出した。
いや、パリ以上かもしれないと思う。祇園店はいつもの用事の通り道なので、次行った時もテイクアウトで持ち帰りたいと思う。

 

《京都で紅葉を狙っている皆様へ》
今月の後半は特に狙い目です。車ではなく、是非、電車で行かれることをおすすめ致します。

小倉屋山本の伝説の昆布・えびすめを食べてみた話

えびすめと山椒こんぶのおいしい食べ方

今から数年前の話だ。

2013年9月、作家の山崎豊子さんが他界した。 「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」などで有名な、あの山崎豊子さんだ。

当時、ニュースで訃報を知るとともに、山崎さんが、あの大阪に本店のある小倉屋山本の長女・嬢さん(いとさん)であることも知った。

小倉屋山本といえば、あの昆布で有名な店ではないか。 もちろん、店の一番人気は、知る人ぞ知る「えびすめ」だ。

えびすめを買って、母に献上する

この頃はまだ、私は「えびすめ」をただの一度も食したことが無かった。 高級昆布であるえびすめは、お歳暮用の箱入りセットとしても売られている。

美味しいもの好きの母にメールをしてみた。

「えびすめ食べたことありますか?」

「ありません。もちろん、名前は知ってますよ。白い巨塔の再放送も見ましたよ。」

さすが耳も口も肥えた母だけあって、えびすめのことだけでなく、メーカーの小倉屋山本が山崎さんの実家だということまでわかっている。

えびすめの値段は現在、70g1500円ほど。

確かに、家計を切り盛りする、普通の金銭感覚を持つ人間にとって、これが安いわけではない。(2013年当時、これよりは安かった。)

しかし、買えない金額ではない。「美味しいらしい」というえびすめを一度くらい食べても、母も私も罰はあたらないだろう。というわけで、あるとき実家に戻った時に、えびすめを母にプレゼントで買うことにした。

場所は駅前の某大型デパート。 小倉屋山本の売り場では、えびすめの他にも、昆布の佃煮など商品展開が多い。

どれも、美味しそうである。 考えた挙げ句、乾燥塩ふき昆布であるえびすめの他に、醤油で煮込んだタイプの「山椒こんぶ」も一袋買うことにした。

「えびすめ」の味は?

塩ふき昆布のえびすめは、一枚一枚が四角で、名前の通り、塩がふいた昆布だ。 その辺のへなちょこ昆布とは比べ物にならないほどに、ずっしりとした歯ごたえで、昆布の質の良さがよくわかる。

廉価品との違いが明らかなので、贈答用にも喜ばれるだろう。

王道の食べ方でいうと、当然ながら炊きたて白ご飯といただくのが間違いなくおいしい。

塩が小気味よく効いているので、きっと、味の薄い吸い物に入れて食べても、程よい塩加減と出汁で膨らんだ昆布を美味しい頂くことができたのではないかと思うが、それを試す前に、全部ご飯と一緒に食べてしまった。

山椒好きにはたまらない爆弾的「山椒こんぶ」

佃煮タイプの「山椒こんぶ」の食べ方だが、こちらも白ご飯と相性抜群だった。

山椒の風味が律儀なほどに、ちゃんと効いている。山椒好きにはたまらない風味であることには間違いなかったが、たまに、大粒の山椒と遭遇した時には、爆弾が口の中で弾けたように、しばらく口の中の痺れがとれなかった。

冗談ではなく、しばらくの間は何を食べても味がしないぐらいの痺れが残る。

今度買う時は、同じく佃煮タイプの山椒抜きでもいいかもしれないと思う。 山椒の風味が苦手で、しっとりタイプの昆布が好きな人は山椒抜きのものがおすすめ。

昆布屋を舞台に丁稚奉公の世界を描く「暖簾」

昆布屋の長女である山崎さんは、昆布屋を舞台にした小説「暖簾」を1950年代に発表している。

淡路島出身の主人公、吾平は、15歳にして、大阪の昆布屋に丁稚奉公することになる。辛い修行の数々、あまりの激務につい、手洗いで居眠りをしてしまった時には、店の主人から冷水を浴びせられる始末だ。滅私奉公という言葉が生きていた時代の話である。

人によって削った昆布のあし(丈)が短いのや、長いのが出来る。おぼろ昆布の上品(じょうもん)は、あしが長く、幅が平たく薄手なもの、あしが短く幅狭の分厚いものは並品(なみもん)とされた。とろろ昆布の上品はあしが短く、綿花のように細かく削られて、舌の上にのせるととろりと、とろろ芋のような感触を持った。並品はあしが長く舌触りが荒かった。 「暖簾」 山崎豊子

黒とろろ、白とろろ、おぼろ昆布、だし昆布、真昆布などなど、「暖簾」の中に出てくる昆布の数々、その種類を説明する語彙の多さ、表現の多彩さ。

山崎さんは、小説を書く時、徹底した取材の元に執筆をすると聞いていたが、彼女の表現力の豊かさとリアリティが山崎さんの処女作である「暖簾」でもすでに見て取れる。

昆布にちょっと詳しくなったおかげで小倉屋山本の商品選びも楽しくなった。

私の手元には、昭和46年に新潮社から発行された「暖簾」の文庫本がある。十四刷と記されていて、背表紙には、110円と記載されている。当然、消費税導入前の話なので、税表記などはない。 古びた薄い文庫本の中には、丁稚奉公に身を捧げた大阪の商人の世界が広がっている。

白い巨塔のファンの皆様も、いとさんも、なかんちゃんも、こいさんも、ぼんさんも、御寮はんも、一度は、あの四角くて、どっしりとした「えびすめ」を食べるべし。

山崎さんの実家が昆布屋ということを知ってから、パブロフの犬的に、私は山崎さんの小説の表紙を見るだけで「えびすめ」が食べたくなってしかたがない。

Copyright © All Rights Reserved.