東村アキコさんの自伝的漫画「かくかくしかじか」の主人公の林明子は小さいころから少女漫画が大好き。
温暖な気候の宮崎県で、80年代りぼんっ子のバイブルとも言うべき「ときめきトゥナイト」の蘭世の絵を真似して描いたり、寝っ転がってりぼんを読むだけの生活をしていたそうな。
その甲斐あって、無事に「ボーっとした高校生」になった明子にも大学受験の機会がやってくる。
少女時代から漫画家になりたかった明子は、勉強できなくても、美大であれば入れるし、と安易な理由から美大受験を企てる。
東京の美大に現役合格し、在学中に華々しく漫画家デビューを飾り、将来はトヨエツと結婚するというのが、彼女の当時の人生設計であったらしい。
人並外れて絵が上手いと思っていた明子は、「美大どこでも受かっちゃいます?」と美術部顧問に軽口を叩いていたが、「美大受験はそんな甘くない」というクラスメートの助言がきっかけで、家から遠い場所に位置する絵画教室へ通うことにした。
うぬぼれ屋の明子は、絵画教室に行けば、自分だけ絵が上手いって先生から褒められてしまうんじゃないかと心配していたのだったが、絵画教室で先生は明子の絵を一目見るなり「下手くそ」と彼女のデッサンを竹刀でバシバシと殴りつけてしまう。
これが、明子の恩師となる日高先生との出会いだったわけだが、そんなことは当時の明子は露知らず。
ショックで言葉を失う明子に先生は、こんなに下手くそではどこの美大にも受からない、と追い討ちをかける。
受験までに100枚描けという先生の命令のもと、明子の絵画教室通いが始まる。
老若男女問わず、いつもキレキレの日高先生。
生徒のすすり泣く声が聞こえ、無駄口を叩けば竹刀で殴られるような超スパルタ空間で絵を描くのがイヤになった明子は、ある時、仮病を使い、絵画教室からの「脱走」を試みたのであったが、明子は嘘に気づいた先生から猛ダッシュで追いかけられる。
嘘がバレて、先生から顔面にアイアンクローを食らわされるのかと顔を引きつらせる明子だったが、意外な展開となり、読者はここで日高先生の優しさを目の当たりにすることになる。
このエピソードはオリジナルで味わって欲しいので、顛末はここではかかないが、ここから先生と明子の受験に向けての躍進が始まるのだった。
余裕で受かったと思われた推薦入試に落ちた後は、国立大学狙いの明子はデッサンだけでなく、勉強にも勤しまなくてはならなくなった。
不良と一緒に職員室に立たされるぐらい成績の悪かった明子だが、問題を読まなくても答がわかるマークシート攻略本とダウジングの能力を開花させたおかげで、センター試験8割を突破する。
オバカキャラを返上し、ミラクルガールという異名をとった明子であったが、本命だった美大受験に失敗し、もう後がないという状態に。
これに落ちたら浪人しかないというところで、明子は無事に金沢美術工芸大学の油彩科に合格する。
在学中に華々しく漫画家デビューという夢に猛進かと思いきや、なんと時間と余裕のありふれた大学時代には漫画は全く描かなかったのだとか。
油彩科の課題も思うように進まず、苦しむ明子。
夏休みに実家に戻り、学校の課題に取り組むが、全く思うように描けず、七転八倒する明子の部屋に日高先生が現れる。
母から連絡を受けた先生が明子の家までかけつけてくれたのだった。
先生の指導のもと、絵画制作へのとっかかりを見つけ出した明子は、無事、課題を終えることができ、大学でもよい評価を受けることができた。
普通ならば、受験生時代に通った絵画教室の先生とは疎遠になりそうだが、先生との縁は大学入学後も、それどころか明子が社会人になってからも続いていた。
美大卒業も近いたけれど、就職が決まりそうにない明子に父からの喝が入る。
「オイアキコ!!お前に入学金40万、月々の仕送り10万x4年、学費が半期で40万1年で80万、それのx4年でトータル約900万!!」
「宮崎帰って美術の先生になれ!!」
900万円の出費を回収すべく、就職命令が下る。
運良く、日高先生の紹介で高校の美術教師の口を見つけた明子は、大学時代の彼と遠距離になることがわかりつつも、地元・宮崎に戻ることを余儀なくされた。
だが結局その就職口はなくなり、明子は父の会社のコールセンターで働くことなる。
遠距離恋愛の苦しみ、慣れないオフィス業務から逃れたい一心で、明子はやっと漫画を描き始める。
ここからは明子のデビューまでの道のりが日高先生とのエピソードを交えて描かれる。
頑張ることはダサいのか?
Eテレの「漫勉」で東村さんはかつてのこの時代のことを「ダサい過去」という風に語っていたが、私にはダサいとは思えない。
一つ言えることは、東村さんはとても運のいい人だということ。
日高先生のような師に出会えたということ、それだけで間違いなく、とても運がいい。
やることなすことすべてが飄々としていて、その姿があまりにも自然すぎて、努力しているようにも見えない人というのがいる。
勢いがあって、テンポがよくて、勢いのある東村さんの漫画を読んでいるとそういう人なのかと思っていたが、実はこういう時期によって東村さんの才能が裏付けされていたということを知ると、とても安心できた。
ギリギリの状況でやっと漫画を描き始めた明子だったが、人間は誰しも極限の状態に置かれてこそ、最高のパフォーマンスを成し遂げるということがある。
「かくかくしかじか」の読後感として「泣ける」というものが多いようだが、私にとっては、この漫画はただ「泣ける」漫画ではなく、絵を描くことをひたすら頑張る明子を見ていると、高校時代の受験時代を思い出し、さらに当時のエネルギー値の高さを追体験し、しばらくの間、自分を形作る細胞が懐かしさで震えているような気がした。
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ちなみに、東村さんの「東村」というのはペンネームだそうだ。デビュー前にペンネームとして「東村」という名前を使うことに決めたのだそうだ。
北村、西村はいるけど、東村は少ないという理由で「東村」という名前を選んだそうな。
東村という名前が少ないという理由についてはこの本に書かれていたので、気になる人は一読を。
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