目から鱗が落ちました

使い捨て1Dayウロコを通して見えたこと

最後はどうなったかちゃんと知ってる?五代君が響子を抱くまでを振り返る。「めぞん一刻」高橋留美子

ネタバレあり

女主人公の響子は、女からみてもフェロモン全開のいい女

めぞん一刻は、小学校低学年の頃にアニメでみたことがあった。だが、大人っぽい内容だったためか、母に見るのを止められてしまい、ほんのわずかな内容しか覚えていなかったのだが、主人公をとりまく気の利いた演出は、小学生の子どもにも印象的だった。

話は、主人公の五代がおんぼろ文化住宅の一刻館とそこの住人に嫌気がさし、飛び出そうとしていたところから始まる。そこへ突然、一刻館の管理人として美しい女・響子が登場したために、五代は引っ越しを取りやめにして、そこに住み続けようと前言を翻した。

高橋留美子のギャグ的展開をもって始まるストーリーだが、ただのギャグ漫画で片付きそうでな気配はない。 五代のわずか二つ歳上でまだ若い響子ではあるが、どこかに翳りがある。

そのわけは、物語が進むにつれて、すぐに明かされる。

響子は、私が小さい頃に見たアニメの印象では「上品でおとなしいお姉さん」という感じだったが、漫画で読むと、意外にも生々しい女の様相をしていた。

響子は見た目によらず、焼きもちを焼き、拗ねもする。

その性分が生々しいというだけでなく、テニスコートで翻すミニスカート姿も生々しい。普段は、"PIYO PIYO"とプリントされた子どもっぽいエプロンなんかを着てるが、響子の身体からは、女の生命力とフェロモンが、フライパンの上で焼かれたステーキから出る肉汁のように滲み出ている。

(でも、このPIYO PIYOエプロンが彼女のトレードマークになっているらしい。)

こんな女が近くに居て、気にならない方がおかしいと思うぐらい、女の私から見ても響子はいい女だと思う。

五代君の恋のライバルたち

ラブストーリーの原則からいくと、読者は、響子がそのうちに主人公の五代君とくっつくと当然予想するだろう。 (ここではキャラに合うように五代君と君付けで呼ぶことにする。)

五代君には、響子に想いをよせるテニスクラブのコーチである三鷹さんという強力なライバルがいる。さらに一刻館の住人達からは四六時中の邪魔が入る。酒乱の一の瀬さんに、のぞきが趣味の四谷さん、季節問わずにいつもスケスケのネグリジェを着ている朱美さん。彼らに茶々を入れられながら、五代君が響子にアプローチとするのは、至難の業のようだが読者はちゃんと、この漫画が「シェルブールの雨傘」のような想いを寄せ合いながらも一緒になれないアンハッピーエンドの苦い恋の物語になったりはしないことをわかっている。

漫画に出てくる恋のライバルというのは、結構「嫌な奴」が多い気がするが、読み終わってみると五代君のライバルの三鷹さんは、嫌な奴どころか、かなりいい線いっている。 爽やかなイケメンで、白い歯を光らせ、職にも就き、車も所有し、家柄は良すぎるほど。(時は1980年代、バブルのまっただ中の日本。三鷹さんは150万ほどの国産車に乗っているという。高級車には違いないが、身の丈にあわない外車を乗り回すようなタイプよりもずっと堅実に見える。)

女の子との付き合いは派手なようだが、そこを除けば好きな女に真っ正面からアタックできるほど、潔い、決断力のあるいい男だ。響子の扱い方も紳士的。(男の目からみたら、かなりキザに映るかもしれないが。) だから響子が彼にモーレツなアタックをされながらも、はっきりと断れずに、ずるずると「ぬるま湯みたいな三角関係」を続けてきたのだろうが、端から見ていると、五代君の方がかなり分が悪い。 浪人の末、三流大学にやっとのことで入学し、単位ぎりぎりのところで卒業しながらも、就職に失敗し、資格取得のためにキャバレーでバイトしながら食いつなぐ。言うまでもなく万年貧乏で、好きな女にさえ食事の代金を立て替えてもらわなくてはいけないほど。

もし、五代君にピュアで優しい心根というものがなければ、本当にダメな男だっただろう。響子が、物質主義(イケメン、金、車、etc.)に走らず、スペックは低いが、心根の優しい男を選んだというのも、世知辛いこの世の中での「救い」のようにも思える。

多くのラブストーリーに、主人公達の間に障害があったりする。五代君にとっての三鷹さんも、そこそこのライバルに違いなかったが、一番の恋の障害は、響子の死んだ夫である「惣一郎さん」だ。

響子は高校時代に母校の講師をしていた惣一郎と卒業後に結婚したが、彼は結婚後一年も経たないうちにこの世を去る。響子は、惣一郎の死亡後も嫁ぎ先である音無家に籍をおき、音無の姓を名乗り続ける。

そんな時に、義父のすすめで響子は一刻館に管理人として勤務することになった。

五代君が響子に心を寄せているのは響子にもわかっていただろうが、夫を失ったばかりの悲しみの中に居る女が、そんなに簡単になびいてくれるわけもなく、五代君と響子の中が発展するのは、時間がかかりそうだと読者も踏む。

普通なら、死んだ人間は過去の人だ。物語にそんなにしばしば登場する機会もないのだが、作者は、響子の飼い犬の名前を死んだ夫の名前と同じにしてしまった。

亡き夫と同じ名を持つ飼い犬を「惣一郎さん」と呼ぶ響子。惣一郎さんは、一刻間の庭先の犬小屋に鎮座する。

犬小屋にも「惣一郎さん」と敬称付きで書かれている。否が応でも、見えないはずの恋敵である「惣一郎さん」が物語に出てくる。犬の惣一郎さんは、おまけにブサ犬なのだ。亡き人の影をコミカルに登場させた、最高にニクい演出だなと思う。

惣一郎さんはコロンボの「うちのかみさん」と同じ

目の前にいるキザ男の三鷹さんであれば張り合うには方法もあっただろうが、恋敵が死んだ相手ではどうしようもない。見えない敵では、自分に勝運があるのかさえも、はかりづらい。

五代君は、機会あるごとに、惣一郎さんがどんな人物だったのか知ろうと、惣一郎さんが勤務していた、響子の母校である女子校の卒業アルバムを図書室で探し出したり、音無家にある遺影の写真なんかをこっそりと見ようとするのだが、その度に失敗に終わる。回想シーンで登場する惣一郎さんの顔はいつもベタで塗りつぶされていて、読者にも五代君にも、どんな人なのかナゾなのだ。

刑事コロンボが「うちのカミさん」と始終口にしているのに、姿は一回も出てこないというアレと似ている。

ストーリーの中で、響子の目線から見た惣一郎さんにまつわるエピソードが繰り広げられる。読者には、最後まで惣一郎さんの姿が明かされることはないのだが、エピソードを通して、惣一郎さんと響子のほのぼのとした関係が見えてくる。気がつくと、亡き人との思い出が、悲しいものではなく、穏やかなものに変わりつつある。この経過を持って、次第に響子だけでなく、読み手も死の悲しみを克服する気持ちの変化を疑似体験する。

毎年、亡き夫の命日に、響子は墓参りに行く。幾度もの命日が過ぎ去った頃、響子自身も、そろそろ次のステップへ踏み出さなければと感じていく。やはり、悲しみを克服するには時間は最も力強い味方でもある。

音が筒抜けの文化住宅ではやるべきこともできない

めぞん一刻には、昭和の要素がいっぱい詰まっている。 風呂なしの下宿型おんぼろ文化住宅。トイレと洗面台は共同でなので、皆、銭湯に通っている。(四谷さんが壁に穴をあけなくても)各部屋の音は大抵筒抜けだろう。1980年代生まれの私でも、文化住宅は知っているが、下宿型文化住宅は自分の廻りで見た事がない。 ミレニアムを迎えた頃には文化住宅さえ見かける機会も減った気がする。もしかしたら彼らは風呂なし下宿型文化住宅の最後の住人だったかもしれない。

1巻から5巻目あたりまでは、五代君と響子の関係はそれほど発展しない。好きなら好きとはっきりすればいいのにと、読み手を十分にじらした後に、5、6巻目あたりから、話が突然進んでくる。 (私が読んだのはワイド版だった。)

きっとこの二人は最終的には一緒になるのだろう。さあ、どんな風にくっつくのか。長年、近くに居ながら、一線を越えないで来た男女が、相手を受け入れるには、その年月の分だけハードルも高くなり、それ相当の物理的・精神的エネルギーが必要とされるだろう。

物語の要ともなりそうな大事なエピソードだ。作者はきっと、それなりのストーリー展開を考えてくれているに違いない。どんな風にそこまでもっていくのだろう?目も耳も感覚も肥えた読者は、ありきたりの平凡ないきさつには、納得しないかもしれない。 でも、ギャグ要素の強いこの漫画のことだから、ちょとだけ茶化しながらも、平和的で朗らかな恋が成就する場面が出てくるのだろうなと、私は漠然と考えていた。 予想に反して、二人が結ばれるシーンは考えていたよりもずっと直接的でリアルだった。

紙とペンで描かれた、白黒2次元キャラクターの話なのだが、五代君と響子が結ばれるシーンでは、汗ばんだ誰かの肌が自分のものに吸い付いているような錯覚を覚えた。

こんな展開になるとは思わなかったんだが、「そうなんだよね、やっぱり、男と女が結ばれるというのは、こういうことなんだよね」と思わせてくれた。

服を脱ぐ前の恋愛も大事だが、服を脱いだ後の恋愛ももっと大事なのだよね。

(アニメでも同じ展開にしたとはちょっと考えにくいのだが、どうだったのだろう…。)

他の住人からの絶え間なプライバシー干渉にうんざりしてはずの五代君であったはずなのだが、響子と結婚し、子どもが生まれた後も、ふたりは一刻館に住み続けることを選んだ。

私としては、五代君と響子がふたりだけで邪魔されない新婚生活を送ることをひそかに望んでいたのだが、そういうことにはならなかった。

残念だなと思いつつも、五代君も響子も生まれたばかりの新生児を抱いて、一刻館で一家として迎え入れられることに満足している表情を見ると、「終わりよければすべてよし」と言うしかない。

中盤、散々、ギャグで話がひっぱられたが、最後はやはりハッピーエンドで万歳となった。

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